長谷川新(インディペンデントキュレーター)

四方の壁だけではなく、天井に、写真がある。吊り下げられた紙があり、随分低い位置にほかのそれとは異なる額装の写真がある。床置きのものもある。空間の中央にはプロジェクターが据えつけられている。壁にかかった写真は互いに互いを排斥することなく、いくぶんシームレスに視線が動くように設計されている。しかしそうしたディティールとディティールをつなぐような視線誘導以上に、空間全体を上下左右に大きく使った展示がここでは試みられているようだ。「マモノ」は偏在するのだと言わんばかりに。

展示空間を一歩出ると、写真集が積み上げられている。手にとってみる。その重厚かつ精巧なつくりは、「マモノ」を凝視するには、あるいはその瞬間に「マモノ」をとどめておくには、じゅうぶんな環境となっている。外部の専門家によるテクストも掲載されている。たとえばこれだけではいけないのだろうか。なぜ展示は、この写真集のサイズ-規模を拡張した形として存在していないのだろうか。本展はむしろ積極的に写真集とは異なる文法を用いて構成されている。展示空間と、写真集。そのあいだの隔たりについて考えてみよう。制度論的な、「写真」と「美術」という歪な棲み分けとしてかたづけることなしに。私たちはあくまで、「マモノ」について考えるために、この隔たりへと分け入って行く。

「第一自分には日本の文章がよく書けない、日本の文章よりはロシアの文章の方がよく分るような気がする位で、即ち原文を味い得る力はあるが、これをリプロヂュースする力が伴うておらないのだ。」

(二葉亭四迷「余が翻訳の標準」『平凡・私は懐疑派だ―小説・翻訳・評論集成』講談社文芸文庫、1997年、p.249)

「青空文庫」の素晴らしさは今更強調するまでもないかもしれないが、そこは文字通り抜けるような青空である。さまざまな物事があらわになっているデータベースは、であるがゆえに、ほとんど人々の気に留められることなく放置されている。教科書的に半ば暗記させられている(あるいはほとんど忘却されている)事実をひとつ例にとろう。明治期の日本では、「書き言葉」と「話し言葉」を一致させて文章を綴ろうとするいわゆる「言文一致運動」が興った。その成果が定着し、書くことと話すことの間に極端な差がなくなったのは1920年ごろであり、つまりわずか100年ほど前の話である。そのパイオニアとして名高いのが二葉亭四迷であった。二葉亭の文章を私たちは青空文庫で読むことができる。

「外国文を翻訳する場合に、意味ばかりを考えて、これに重きを置くと原文をこわす虞(おそ)れがある。須らく原文の音調を呑み込んで、それを移すようにせねばならぬと、こう自分は信じたので、コンマ、ピリオドの一つをも濫(みだ)りに棄てず、原文にコンマが三つ、ピリオドが一つあれば、訳文にも亦ピリオドが一つ、コンマが三つという風にして、原文の調子を移そうとした。殊に翻訳を為始めた頃は、語数も原文と同じくし、形をも崩すことなく、偏えに原文の音調を移すのを目的として、形の上に大変苦労したのだが、さて実際はなかなか思うように行かぬ、中にはどうしても自分の標準に合わすことの出来ぬものもあった。で、自分は自分の標準に依って訳する丈けの手腕(うで)がないものと諦らめても見たが、併しそれは決して本意ではなかったので、其の後(のち)とても長く形の上には、此の方針を取っておった。」

(二葉亭四迷「余が翻訳の標準」https://www.aozora.gr.jp/cards/000006/files/384_22428.html 〔最終閲覧 2020年12月1日〕)

少し長ったらしいかもしれないが、もう一度読んでほしい。恐ろしいのはこの箇所だ。

「原文にコンマが三つ、ピリオドが一つあれば、訳文にも亦ピリオドが一つ、コンマが三つという風にして、原文の調子を移そうとした。殊に翻訳を為始めた頃は、語数も原文と同じくし、形をも崩すことなく、偏えに原文の音調を移すのを目的として、形の上に大変苦労した」

二葉亭は翻訳を行う際、ロシア語の文章と日本語の文章というどう考えても異なるふたつのシステムを意味だけではなく形式の面からも完全に対応させようともがいている。そしてその不可能性に突き当たる。当時の日本語の「書き言葉」では、ロシア語の小説は翻訳できない、がゆえに、「話し言葉」が小説内に導入される。中村光夫はこの驚くべき二葉亭の告白を引きながら次のように指摘する。「文体の問題がまず翻訳の形で提出されたのは注意すべきことで、二葉亭にとって、言文一致の文章は、まずロシア文学の正確なイメイジを日本語でつくりだすために必要だったのです。」(中村光夫『二葉亭四迷伝』講談社文芸文庫、1993年、p.93)

言文一致運動は、ロシア語を日本語に翻訳する際の困難に底支えされることで誕生している。日本語の内側から噴き上がった矛盾だけを動力源にしていない。二葉亭は小説に登場するロシア人の夫婦が「対等に」会話をしている描写を翻訳する際、日本語においても「対等な」会話として再現されるべきだ、と考える。当時の日本の読者にとっては奇異に映ったとしても、文体のレベルにおいては、奇妙な形でジェンダーの平等が仮構される。ロシア語と日本語の隔たりはこうして隠蔽され、複数の異なるシステムは一致可能だという幻想が共有される。繰り返すが、これはたんに幻想である。ロシア語と日本語のあいだには、あるいはロシアにおけるジェンダー、家族感、家父長制度と、日本におけるそれとのあいだには、埋めようのない隔たりがあり、そしてそれらを縫合するとき、発火しかねないほどの摩擦熱が生じている。そして結果的にそのすべてが変質している。なにひとつとして、無傷でいられるものはいない。「言文一致」が成就したとされる様々な文章から、私たちはその熱と傷を感じとることができる(「青空文庫」はおあつらえむきのウェブサイトである)。

遠回りに感じただろうか。おそらくは鑑賞後にこのテクストを読んでいるであろうあなたに伝えたいことはこういうことだ。展示空間は写真集をそのまま翻訳したものだという前提を捨て去ろう。と同時に、写真集と展示のあいだの差異を「写真の人たち」と「美術の人たち」のあいだの無自覚な誤解と縄張り争いに帰着させることもやめよう。そのような思考では「マモノ」を取り逃がすほかない。言葉にしづらいもの、一瞬だけ確信を得られるがすぐに消え去っていってしまうもの、ただなんとなく持続する不気味さ、奇妙な偶然の重なり合い。それらがなぜか写真に「写ってしまう」という事実。作家はなんとかそれを共有したがっている。インスタレーションのように展開する展示空間でも、フォーマルな装幀の写真集でも取り逃がされた、ただ写真において写ってしまっている「マモノ」がいるはずで、それを見やるためにこそ、逆説的にも、展覧会が、写真集が要請される。発熱した隔たりの最奥で、別のイメージに成り果てた「マモノ」が姿を表す。

長谷川新 (はせがわあらた / インディペンデントキュレーター)

2020年12月1日