打林俊/写真史家・写真評論家

 「mamomo」と聞いて、魔物の実体を画中に求めようとしてしまうのはぼくだけではないだろう。実際、〈mamono〉展(京橋・72 Gallery)のメインヴィジュアルになっている作品は、東京タワーを臨む窓に、青白い(おそらくはテレビに映された映画の)画面が写っているのだから、なおさらだ。けれども、トミモとあきながオカルトめいたことをしたいわけではないというのは、本展を一瞥すれば明らかである。言い換えれば、なにかしらの世界を作り上げるのではなく、ふと眼が見出してしまう魔的なものを記録するという、オーソドックスな写真のありようが、ここには表れている。

 本展はT3 PHOTO FESTIVAL TOKYO PRE 2019の学生プレゼンテーション展の受賞者特典として開催された個展である。会場自体はさほど広いというわけではないが、コンペで選出されたというだけあり、展示空間の支配力からもその実力が垣間見える。展覧会というのは作品の良し悪しだけではなく、その空間の創造力によって、さらに壮大な世界観を感じることができるものだ。ぼくが本展で気になったのは、紫色の二輪の花が咲く作品と、雪を冠った背の低い木の作品の並びである。

それらの並びは、はやり若くして頭角を現し、モダニズム写真の旗手のひとりだった小石清の代表作〈半世界〉(1938年)を思い起こさせる。そこに込められた反戦意識の内部告発とでもいうべき意味合いを抜きにしても、あの気味の悪いパンジー、無残な骨の集積を思わせるサザエ貝の殻の山、川べりを徘徊する肥えた豚・・・彼岸へとつながる入り口を、小石は見てしまったように思えてならない。

 遡ること4年前の1932年、小石は〈初夏神経〉を発表し、大きな議論を巻き起こした。多重露光にフォトグラム、クローズアップなど、モダニズム写真の表現手法を縦横無尽に用いた同作は、翌年にはジンク板の表紙にスパイラル綴じという斬新な装丁の写真集として出版もされ、日本の初期モダニズム写真のなかで高く評価されていく。だが一方では、そのラディカルな表現には当然ながら批判もあった。写真評論家の森芳太郎は「表現は再び写真術の本質を離れ、独善的な主観世界に立戻つたものと見るしかない」(『日本写真年鑑 昭和九年版』朝日新聞社、1934年)と述べている。つまり、その表象には写真の原質性が失われているのではないか、と森は主張しているのだ。この派手なマニピュレーションを多分に駆使した〈初夏神経〉とストレート写真の〈半世界〉の間にある小石の意識を比較してみることは、〈mamono〉の表現に深く立ち入っていくにあたって無駄ではないだろう。

 モダニズム写真の時期以降、写真はピクトリアリズムのように特殊なマニピュレーションを施す写真と、ストレート写真の二項対立で語られることが多い。特にその対立軸を歴史として鮮明に打ち出したのが、ニューヨーク近代美術館のキュレーターで写真史家のボーモント・ニューホールである。彼の著作『写真の歴史(The History of Photography)』(1949年。以降、82年まで4度改訂)における「ピクトリアル写真」とそれに続く「ストレート写真」という章立ての構図は、そのままゴム印画やブロムオイル印画といった、手工性の強いプリント技法を用いたピクトリアリズムと、ストレート印画を是としたモダニズム写真を対立させるものだ。

 こうしたマニピュレーション対ストレートという写真の分類は現在でも少なからず受け継がれているが、それを打破しようとした興味深い試みに、やはりニューヨーク近代美術館のキュレーターであるジョン・シャーカフスキーが1978年に同館で企画した〈鏡と窓-1960年以降のアメリカの写真(Mirrors and Windows: American Photography Since 1960)〉という展覧会がある。写真を自己の内面を映し出す「鏡派」と、写真を通して外界を知ろうとする「窓派」の二つの表象体系から当時のアメリカの現代写真表現を捉えてみようという試みである。シャーカフスキー本人も、カタログの中でこの分類はきっぱりと割り切れる二項対立ではなく、一人の作家が両面を持ち合わせていることは承知していると述べているが、それでも、この考え方はモダニズム至上主義的な価値観の上に築かれた「マニピュレーション対ストレート」という写真の捉え方に一石を投じるものであった。

ただ、窓派の作家たちを見てみると、ここにはたとえばダイアン・アーバスとアンセル・アダムズが含まれている。この二人の作家を比較するだけでも、彼らにとっての写真の原質が何を指すのかが一筋縄ではないことは明らかであろう。

たしかに、同展に出品されたアーバスのフリークスたちを撮った作品を「窓」と解釈するのは妥当ではある。だが、試しに同展には出品されていない彼女の2点の作品を挙げてみよう。《ディズニーランドの城》(1962年)や《リビングルームのクリスマスツリー》(1963年)は、ともにアメリカ人にとっての無上の幸福の象徴ともいえるモチーフを写した作品だ。時はあたかもアメリカがベトナム戦争に本格的に軍事介入を始めた直後であり、アメリカ国内の栄華と同居する無残さや空虚さを知る窓とも解釈できる。だが、死の気配さえ漂うようなあの強烈な印象は、必ずしも世界でなにが起こっているのかを知るための確固とした窓とはいいきれまい。むしろ、シャーカフスキーの譲歩に従えば、むしろそれは、かまいたちのような一瞬の鋭利な魔を見つめる鏡の断片ともいえないだろうか。

 この写真というメディウムの鏡であり窓であるという複層性については、本展出品作を含む同名の写真集『mamono』(Place M、2020年)に伊藤俊治が寄せた「マモノの燦き」でも触れられている。

「マモノ」は人間の視線のメカニズムと密接に関わる。写真はよく言われるように「鏡」であり「窓」でもある。その「鏡」から「窓」への切り替えの瞬間に「マモノ」は間隙を突いて現れてくる。

なるほど、たしかに、ある種の間に潜む魔を見出す時、わたしたちが映像として知覚するそれは残像のようなものではあるかもしれないが、夢のようなおぼろげなものとはちがう。伊藤はそれを夏目漱石の未完の絶筆『明暗』を引き合いに出して論じているが、その例をゲーテの「魔王」に置き換えてみたところで、やはり知覚と視覚の「間隙を突いて現れてくる」、捉えがたいがそれでいて具体的なイメージであることにかわりはない。

だからこそ、〈初夏神経〉に代表されるマニピュレーションによる作画を得意とした小石が、〈半世界〉をその世界観を単に「鏡」ではなく「窓」として表現するためにそのほとんどをストレート写真で制作したのではないかという推測も成り立つ。小石はそのタイトルについて「東亜の現状、日本を主題としました立場の東半球の色々な現象」(「浪華展をめぐりて 関東関西座談会」『フォトタイムス』1940年9月号)としか述べていない。たしかに、《肥大した敗戦記念物》《抜殻の挙動》などの個々の画題ついての説明としては理解できるが、「半世界」の説明としては不十分に感じられる。おそらく、その真意は、小石が見出した魔界への入り口なのではないだろうか。

ここで冒頭に言及したトミモとの作品に戻ってみると、それらはやはり〈半世界〉に含まれる2点、《黙劇》と《世紀への記念塔》を想起させる。花は、西洋絵画のヴァニタスのモチーフとしてさかんに描かれて以来、死すなわち彼岸へとわたしたちをいざなう象徴的モチーフである。もう一つの雪は、ヴァニタスのモチーフとしては捉えられてこなかったが、やはりなにかしらの儚さの象徴であるし、どうもこの作品に写された雪を冠った木は、ぼくにはどくろのようにしか見えない。トミモとはステートメントで「ストレートに撮影された写真だからこそ表現できる「目に見えなくても写ってしまうもの」があると信じている」と述べている。それはまさに、〈半世界〉にも通じる近代以降の写真が原質としてきたありようを一心に信頼するということでもある。

だが、あらためて『mamono』を見ていると、トミモとはふと眼が見出してしまった魔界の入り口を写真におさめようとしているだけではなく、そこから此方に入り込んでしまったマモノそのものを捉えようとしているようにも感じられるのだ。例えば、水面を這うへびであるとか、鬼火のような炎をとらえた作品は、ストレート写真でありながら、それとは異なった体系の原質性に則っている。

それこそが、「決定的瞬間」である。いうまでもなく、このことばの由来はアンリ・カルティエ=ブレッソンの有名にすぎる写真集の英語版のタイトルである。いわば、写真にしかできないこと、写真表現の特質というのは、小型カメラが登場してファインダーが目の延長、シャッターが瞬きの延長になって以来、写真表現を支える神話的原質となってきた。しかし、あらためてそのことばを精査すると、そもそものフランス語の原題「Image à la sauvette」は、「決定的瞬間」とは微妙に意味が異なる。その文法的解釈は今橋映子の『〈パリ写真〉の世紀』(白水社、2003年)に詳しいが、あえて訳すならば「ふいに勝ち取られたイマージュ」となる。

もっとも、水面を這うへびや鬼火を想起させるこれらの写真が決定的瞬間という概念の上に成り立った作品だということは簡単だ。しかし、これまで言及してきた作品、というよりもこのシリーズに収められた作品すべてが「目に見えなくても写ってしまうもの」の追求であるならば、魔界の入り口もマモノも、写真家が知覚してしまい「ふいに勝ち取られたイマージュ」にほかならない。もしもだれしもが感じたことがあるはずのそれらの姿を捉えたいと思った時、それを可能にするメディウムは、とりもなおさず写真でしかありえないということになろう。その必然性と原質性をあらためて理解した時、マモノたちは、わたしたちの眼前にふいに現出するのである。トミモとがいう「シンパシー」のトートロジーとして。

打林俊(うちばやししゅん / 写真史家・写真評論家)

2020年12月1日